「 淡 交 会 沿 革 」 の 内 容 は 一 部 追 加 更 新 さ れ ま し た 。
最終更新日: 2015/03/19

 ■ 淡 交 会 沿 革
1. 淡 交 会  歴 代 会 長

歴 代

会  長  氏  名

勤  務  先  役  職

  在   職   期   間












八 田 三 喜   初代校長

 府  立  三  中

 明治34年 4月 〜 大正  8年 4月

広 瀬   雄   2代校長

 府  立  三  中

 大正 8年  4月 〜 昭和  5年 4月

秋 山 四 麿   3代校長

 府  立  三  中

 昭和 5年  4月 〜 昭和20年11月

鹿 谷 義 一   4代校長

 都  立  三  中

 昭和20年12月 〜 昭和21年11月

小 倉   隆   5代校長

 都  立  三  中

 昭和22年 3月 〜 昭和30年 9月

都立第三新制高校

 都 立 両 国 高 校

星  一  雄   6代校長

 都 立 両 国 高 校

 昭和30年10月 〜 昭和31年 3月

福 岡   高   7代校長

 都 立 両 国 高 校

 昭和31年 3月 〜 昭和36年 3月

清 水 安 麿   8代校長

 都 立 両 国 高 校

 昭和36年 4月 〜 昭和36年10月

第 2 代

川 村 音次郎   第 5回卒

キリンビール 社 長

 昭和36年10月 〜 昭和48年 5月

第 3 代

中 鉢 常 正   第10回卒

日本 ゼオン 社 長

 昭和48年 6月 〜 昭和52年 5月

第 4 代

上 田 英 雄   第24回卒

東 大 病 院 院 長

 昭和52年 6月 〜 昭和62年 5月

第 5 代

坪 井   東   第30回卒

三井 不動産 会 長

 昭和62年 6月 〜 平成 8年 6月

代  行

長 谷 川 剛   第34回卒

長谷川萬治商店 社長

 平成  8年 7月 〜 平成 9年 5月

海 渡 五 郎   第43回卒

エトワール海渡 社長

第 6 代

海 渡 五 郎   第43回卒

エトワール海渡 社長

 平成  9年 6月 〜 平成15年 6月

第 7 代

小 泉 宗 孝   第52回卒

日本サービスセンター 社長

 平成15年 6月 〜 平成22年 6月

第 8 代

郷  通  子   第55回卒

前 お茶の水女子大学 学長

 平成22年 7月 〜 平成25年 6月

第 9 代

寺 澤 捷 年   第60回卒

前 千葉大学大学院 医学研究院教授

 平成25年 6月 〜

 



 初代校長 八田 三喜 氏



2. 淡 交 会 沿 革
明治38年 4月   第2回卒業生が出るに及んで 淡交会 発足。
明治40年    会員名簿(第1回)発行。
大正10年11月    創立20周年を記念して淡交会より、生徒図書館兼集会所として記念館を学校
           (東京府)に寄付す
           創立20周年記念式挙行に際し、勤続15年以上8名の先生に記念品を贈呈。
          

関東大震災後の バラック校舎

昭和 2年11月   関東大震災後、校舎新築落成及び 創立25周年記念式典に際し、父兄会と淡交会
       合同主催の祝賀会を開催。
  22年 5月
  校庭削減問題・本校移転問題が起こり、学校・父兄会と協力して反対運動を開始 
 する。
  23年 6月   校庭問題、本校移転問題は 無事落着。
  25年 5月   創立50周年記念式典挙行に際し、協賛会主催の祝賀会開催。
  32年11月   「淡交会報」第1号発行。
  35年 7月   創立60周年記念事業として竣工した「淡交ホール」を学校(東京都)に寄付。
  36年10月   淡交会総会において会則の改正。即ち 学校長は名誉会長とする。 会長と副会長
      (2名中1名を)淡交会員から選出する。
      会長(第2代)に川村 音次郎氏(5回卒)が選出される。
  42年 6月   淡交会総会並びに懇親会を 新宿の東京社会保険会館で開催。 出席者 約350名。
      会費を改定することになり、年度別負担金は 今まで各期毎に 3,000円であったのを、
      42年度より 5,000円に増額することになった。
      尚、本年度より 総会には会員の講演を組み入れることになり、第1回の本年は、
      早大文学部教授 滝口 宏氏(25回卒)に お願いした。
  44年 6月   淡交会総会並びに懇親会を 東京厚生年金会館で行う。 出席者 約300名。
      講演「風土と国民性」深代 淳郎氏(44回卒,朝日新聞論説委員)
      昭和45年は 創立70周年に相当するので、記念事業計画が進められていたが、
      都教育委員会の「私費負担軽減方針」の発表があり、「70年史の発行」
      「淡交フィルハーモニー管弦楽団の演奏会」のみ 行うことになった。  
  45年10月   創立70周年記念事業として「芸術鑑賞会」と名付け 「淡交フィルハーモニー
      管弦楽団の演奏会」と 中川 雅史氏(28回卒、中川防蝕工業KK社長)の
      「海洋開発の概要と現状」と 題する講演があった。
  48年 6月   淡交会総会並びに懇親会を ロッテ会館で行う。 出席者 約200名。
       会則の一部改正。 川村会長が ご逝去になり、中鉢 常正氏(10回卒)が会長に
      (3代目)に就任。
  52年 6月   淡交会総会並びに懇親会を 東京厚生年金会館で行う。 出席者 約150名。
      講演「芥川龍之介と菊池寛」 沢村 三木男氏(23回卒、文芸春秋社社長)
      役員改選、会長(4代目)上田 英雄氏(24回卒、中央鉄道病院長)
   
旧   校   舎   正   面
旧   校   舎   正   面

  56年 6月   淡交会総会並びに懇親会を 厚生年金会館で。 出席者 約400名。
      創立80周年記念事業決定。 資料室が設置される。
  56年10月   創立80周年記念式典が 国立教育会館虎ノ門ホールで挙行さる。 
      後援会、淡交会合同により祝賀会が 石垣記念ホールで開催さる。
  61年 7月   「淡交会報」合本を発行。 第1号(昭和32年)から第30号(昭和61年)までを
      合本したもの。 頒布価格1,600円。 
  62年 6月   淡交会総会並びに懇親会が 東京平安閣で開催。 出席者209名。
      淡交会長に坪井 東氏(30回卒、三井不動産会長)が選出さる。
      淡交フィルハーモニー管弦楽団(指揮 鈴木 行一氏69回卒)の演奏。
平成元年 6月    淡交フィルハーモニー管弦楽団 創立40周年演奏会が サントリーホールで
       行われる。 聴衆1,500名。
   3年 6月   淡交会事務局を 江東橋二丁目マンションの 一室に設置。
   7年 9月   淡交会事務局を 両国四丁目マンションの 一室に移転設置。
   8年 7月   淡交会会長坪井 東氏(30回卒、三井不動産相談役) 急逝される。
   8年 7月   常任理事会を開催。 会長後任人事として 副会長長谷川 剛氏・海渡 五郎氏が
   9年 6月   会長代行として 承認される。
      淡交会総会並びに懇親会を 錦糸町東武ホテルにて開催。 出席者190名。
      淡交会 第6代会長に 海渡 五郎氏(43回卒、エトワール海渡社長)就任。
   9年 9月
  初めて両高祭に 淡交会出展、淡交会のPRを行う。 以後 今日至るまで毎年出展
  している。
  13年 6月   創立百周年記念講演は 冒険家で医師でもある関野 吉晴(64回)による
      《グレートジャーニー「人はどこから来てどこえ行くのか」》 と題し、午前中の
      短縮授業を終えた 在校生と先生及び 淡交会・後援会の希望者1,250名 参加し、
      午後2時より 東京厚生年金会館ホールで行なわれた。
  13年 6月
  創立百周年記念式典は、午後1時より「すみだトリフォニーホール」 を 会場として
 行われた。
      全校生徒、教職員、淡交会員のほか 東京都教育長、元校長、東京都議会議員、
      墨田区議会議長等 多数の来賓が出席した。
       淡交フィルによる記念演奏会は 式典終了後、すみだトリフォニーホールで
       鈴木 行一氏(69回)指揮により 迫力のある演奏を披露し、会場を大いに魅了した。
        ベート−ベン作曲 交響曲第9番合唱付。
        ☆ 演奏 淡交フィルハーモニー管弦楽団
        ☆ 淡交混声合唱団 (いずれも二期会会員)
          ソプラノ  緑川 まり    メゾ・ソプラノ 与田 朝子
          テノール 福井 敬     バス      大澤 建
      記念祝賀会は 記念式典・演奏会終了後、午後5時より 隣接の東京マリオットホテル
      錦糸町東武で行われ、来賓として 墨田区長、歴代校長、旧教職員、高齢者から若者
      までの 幅広い淡交会員等 約600名の出席者で賑わった。
      また、東京都指定 無形民族文化財の「木場木遣り」も披露され 会場に華を添えた。
   
両 国 高 等 学 校  創 立 百 周 年 記 念 式 典
両 国 高 等 学 校  創 立 百 周 年 記 念 式 典

  15年 6月   平成15年度 淡交会総会並びに懇親会を 東京平安閣で開催。 出席者108名。
      海渡 五郎会長が 病気療養中につき辞任。
      第7代会長に小泉 宗孝氏(52回 日本サービスセンター社長)就任。
  15年 9月   両国祭に参加 「芥川 龍之介、堀 辰雄、立原 道造」三人展。
  15年12月   淡交会事務局を 両国高校内東館3階に 移転設置。
  16年 9月   両国祭 企画展として「関東大震災」を出展。
      わが母校が 関東大震災(1923)と 太平洋戦争末期(1945.3.10)のB−29による
      東京大空襲で 二度校舎を焼失したことにより、@大震災の概要、A目覚しい復興、
       B大震災とわが母校、Cその時われらが先輩ーの資料を展示。
  17年 9月   両国祭の特別企画として「東京大空襲」 "三中が燃えている" を60年の節目 
      にあたることから展示。 
      1945年3月10日、焼けていく母校の 刻々の中で生き抜いた 三中生の生々しい
      記録を中心に 火炎地獄となり、破壊的な被害を受けた 大空襲の状況を 在校生や
      参加した父兄及び OB諸兄に 伝え残していかなければという強い意志から 企画。
      朝日新聞、東京新聞、読売新聞に 企画展のことが掲載された。 
      9月17日 東京大空襲の当夜、三中の防護団として宿直勤務された44回生の
      佐藤 正昭、島崎 吉信の 両氏をはじめ、自宅から逃れて三中のプールに浸って
      一夜を明かした 岡田 孝一氏(41回)、校庭の東側すぐ傍らの自宅ビルの
      地下室にあった 風呂場の水を何回も 頭からかぶり、九死に一生を得た 戸石 忠氏
      (48回)、他2名が加わり、資料室 代表委員の 田村 光氏(48回)の司会により
      ミニー・トークを行った。
  18年 6月   平成18年度 淡交会総会並びに懇親会を アンフェリシオンで開催。 出席者160名。
      事務局長 染谷 昭男氏(43回)退任、小島 基男氏(52回)新任。
  18年 9月   両国祭に「母校の歴史」副題として "105年の時の流れ" を展示。
      本校が 今年度から中高一貫校になり、新たに附属中学校が入学したのを機に、ほぼ
      60年の時を隔てた 新旧の中学生が語り合う「新旧中学生座談会」
      司会進行 田村 光氏(48回) を行った。
      旧制中学からは 石倉 充之(47回)、戸石 忠(48回)、石川 洋美(49回)
      の 四氏、附属中一年生から 佐々木 佑太、大川 峻哉、中村 友子、有田 実紗、
      道塚 彩果の 五君が参加。
  18年11月   都立両国高校 附属中学校 開校記念式典を 体育館にて挙行。
      同祝賀会が 淡交会及び 両国高校後援会共催で アンフェリシオンで 開催された。
      来賓として、16代校長 大野 武夫氏 をはじめ 金子 尚志氏(49回元NEC社長)
      ほか 多数が参加した。
  19年 9月   両国際に 没後80年の天才作家を偲んで 「三中時代の 芥川 龍之介」 を展示。
          

府立三中時代の 芥川 龍之介 (7回生)

  20年 1月   資料室代表委員の 田村 光氏(48回)らの手でまとめた 「淡交会資料室の記録ー
      母校文化祭の企画展示を中心にー」 という冊子を 出席者全員に配布。
  20年 9月   両国祭に 校歌・卒業式の歌 そして名歌 "早春賦" を創った「吉丸 一昌先生」の
      生涯を 岡田 孝一 資料室顧問と 吉村先生のお孫さん 吉村 昌昭氏 の協力を仰い
      で 制作、出展した。
  21年 2月   中学1年生の 総合的学習の 一環として、地域文化としての江戸・東京を知るという
      ことで、上野鈴本演芸場で 芸術鑑賞教室として 落語会を実施することになった。
      この事前学習として、遠藤 佳三氏(52回)と三遊亭 圓遊(59回)が講義を
      を行った。
  22年 7月   平成22年度 淡交会総会並びに懇親会を アンフェリシオンで開催。 出席者205名。
      小泉 宗孝会長が退任され、第8代会長に 郷 通子 (55回 前お茶の水女子大学長) が
      承認される。
  23年 7月   創立百十年記念式典は、午前9時より 江戸川区総合文化センターにおいて挙行され、
      両国高等学校及び附属中学校の全生徒、教職員、淡交会員ほか 都議会議員、
      東京都教育委員、歴代校長、後援会等 多数の来賓が出席された。
      式典において 淡交会の 郷会長から 大平学校長に 創立百十周年を記念して
      新調された 校旗が贈呈された。
      記念講演は 「創造するちから」 と題し、京都大学霊長類研究所教授・所長
      松沢 哲郎氏(66回) により行われた。
      記念祝賀会は 記念式典終了後、午後2時半より 江東区の「アンフェリシオン」で
      行われ、式典に出席した来賓を中心に 約170名が 列席された。
      日本舞踊家・吉村 昂扇さん(63回)の 祝いの舞も披露され、会場に華を添えた。
   
創 立 百 十 周 年 記 念 式 典
創 立 百 十 周 年 記 念 式 典

  24年 1月   淡交会フィルハーモニー管弦楽団による 創立百十周年記念演奏会が、水道橋の
      文京シビックホールにて 約1000名の来場者を得て 盛大に開催された。
      記念すべき 演奏会ということで、作曲家・指揮者の 早川 正昭氏(49回)、女性
      指揮者として著名な 新田 ユリ氏(77回)、藝大卒業のピアニスト 清水 将仁氏
      (83回) の指導、協力を仰いだ。
  24年 9月   両国祭の 「芥川龍之介生誕120年展」 で 龍之介直筆の書簡が展示され、また、
      「環境とエネルギー」に関する展示を行い、これからのライフスタイルを考える
      きっかけとなる 提案を行った。
  24年10月   第20回東京校歌祭が 日比谷公会堂にて開催された。 校歌祭は、平成5年に
       「東京旧制中学校歌祭」 として発足したが、両国高校 (府立三中) は、第1回から
     20回まで 連続出場している。
  25年 6月   淡交会総会並びに懇親会を アンフェリシオンにて開催。 出席者220名。
      淡交会 第9代会長に 寺澤捷年氏 (60回卒・前千葉大学大学院・医学研究院
      教授) が 就任。 郷 通子前会長は、相談役として 今後とも 淡交会を支援する。
  26年 7月   本校初の行事で 附属中学校3年生は 7月19日から28日の10日間、アメリカ
      合衆国ユタ州で 海外語学研修旅行 (ホームステイ) を 行った。 ( 淡交会も支援 )