2017年6月25日
第31号
編集・発行
 淡交会資料室委員会
    室賀五郎(60回)
〒130−0022
東京都墨田区江東橋1−7−14
都立両国高校内
Tel.03(5600)8472
Fax.03(5600)8473
この1年間の寄贈・購入新着資料
校史関係
淡交会関係
三高教室 178号
両国高校卒業アルバム2017
学校要覧 平成28年度 東京都立両国高等学校 同附属中学校
淡交会報 77号 2016年12月10日          会報委員会委員長 宇田川勝明(63回)
・ 淡交会総会 講演 「南シナ海問題に直面するベトナム」  坪井善明さん(64回)
・ インタビュー  首長竜研究で猿橋賞受賞の古生物学者  佐藤たまきさん(88回)
・ 講演会 「素敵な波動を世の中へ」 桐ケ谷ホビーさん(72回)
・ 両国祭展示 資料室委員会「自律自修の校風とは−115年のあゆみ」
        環境委員会「地球環境とエネルギー問題を考える(第6弾)C0 の排出
        削減に閧する 国際公約達成のため 国民一人ひとりの ライフスタイルの変
        革を!」
2 淡交会報 78号 2017年 5月20日          会報委員会委員長 宇田川勝明(63回)
く わ ば ら
・ 淡交会新年会 講演 「下町の弁護士として生きて」  ヌ原周成さん(64回)
・ インタビュー 正義論でリベラリズムを説く 東大大学院教授 井上達夫さん(70回)
・ あの先生は今 榮 信夫先生(英語)
・ 会員の著書紹介
 『栗原公子句集 銀の笛』 栗原公子さん(58回)
 『ゆたかで楽しい海洋観光の国へ、ようこそ!』 中瀬勝義さん(60回)
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> 寄贈・購入図書 (寄贈者が淡交会員の場合は、敬称略)
書    名 著者・編者 発 行 所 発行年月日 寄 贈 者
ゆたかで楽しい 海洋観光の国へ、
ようこそ!
 中瀬勝義
 (60回)
  七つ森書館
   
 2016- 7- 1
  
 著 者
  
なぜ「 教えない授業」が 学力を
伸ばすのか
 山本崇雄(両国
 高校教諭)
  日経BP社 
  
 2016- 8- 4
 第1版 第2刷
 著 者 
  
直心影流山田八郎に関する
研究ノート ― 早稲田大学直心
影流剣道会五十周年記念寄稿 ―
 渡 辺 寛
  
      
      2016- 9-22
  
  
 著 者 
  
  
わが言論斗争録
   
 浅沼稲次郎
 (13回)    
  社会思想社  1954- 1-15
 再販
 中野経邦氏
 (浅沼の女婿)
沼さん此処にあり
― 浅沼稲次郎生誕百年記念 ―
 機関車クラブ
  
     1997-12-27
   
 同 上
   
月刊 社会党
訪中使節団特別号
 田原春次
     
  日本社会党
  
 1959- 5- 1
   
 同 上
   
学生に与う
現代教養文庫67
 河合栄治郎
     
  社会思想社
  
 1992- 5-30
 改訂版第33刷
 淡交会購入
   
全体主義と闘った男
河合栄治郎
 湯浅 博
     
  産経新聞出版
   
 2017- 2-19
 第1刷
 同 上
   
教師を生きる!
  
 西谷英昭
     
 桜美林大学東北ア
 ジア総合研究所
 2017- 2-15
   
 室賀五郎(60回)
   
句集 銀の笛
  
 栗原公子(58回)
     
 ふらんす堂
   
 2016-11-30
 第1刷  
 淡交会購入
   
転生回遊女
  
 小池昌代(75回)
     
 小学館
   
 2012-10-10
 初版第1刷  
 伊東總吉(48回)
   
怪 訝 山
  
 小池昌代(75回)
     
 講談社
   
 2010- 4-26
 第1刷  
 伊東總吉(48回)
   
広瀬 雄(たけし) 第2代校長の胸像が淡交会に寄贈される
 30回卒業生が、昭和38年に卒業満30年を記念して、第2代校長 広瀬雄先生の胸像を
制作した。 胸像は 同じものが2基作られ。 母校と広瀬家に寄贈された。 胸像の制作は、
同期生の彫刻家 芸術院会員 昼間弘氏が当たった。(関連記事は淡交会報第9号に掲載)
 広瀬家に寄贈された胸像は、昨秋 広瀬先生の孫娘の夫君である 堀内俊男氏(60回)
経由で、淡交会に寄贈された (関連記事は、淡交会報第77号に掲載)。 学校に 寄贈さ
れた もう1基は 校長室に大切に保管されている。
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引き継ぎたい八田三喜精神
はつた みき
資料室委員 原口 孝(62回)
 資料室委員会は平成28年度両国祭で「自律自修の校風とは−115年のあゆみ」のテーマで展示を行
いました。次頁に掲げる展示資料を参考に、初代校長八田三喜の教育方針をトレースしてみます。
 戦前の府立中学は校長の在任期間が長いため、校長個人の人柄や見識が校内に浸透したと言われま
す。その点では、リベラルな開明派である青年校長(在任27〜45歳)を迎え入れた新設三中や、三中
を「江戸っ子中学校」と呼んで親しんだ八田校長の双方とも幸運な巡り合わせと言えましょう。
 八田校長の教育観をみると、国運の盛衰優劣は主に国民の能力にありとの認識から、中学教育の目
的は上級学校への受験準備にあるのではなく、中等国民の育成にあるとします。本校生徒が卒業後に
家業や地域産業を担うケースも少なからずあり、有用な視点だと感じます。
 それでは、実際の学校運営や授業はどのように行われたのでしょうか。本校石澤胖教諭によれば
「先生の教育方針は、あくまでも生徒の自律自修を重んじ、規律は厳格であったが・・悠々と勉強さ
せる」(両国高等学校(七十年史1昭和46年)ことにあります。ここで「自律」とは自分をコントロー
ルすること、「自修」は自ら身を修める、さらには人格の完成を目指すことと解釈できます。
 三中運営にあたっては、生徒の自治や自主的活動を促す仕掛けを講じています。一例を上げれば。
本校開設の年に職員と生徒全体で組織する「学友会」を設置し、以後活発な部活動を促します。とり
わけ特筆されるのは、学友会雑誌を発刊し、生徒に自由投稿・研究の場を提供したことです。投稿者
には。久保田万太郎、芥川龍之介、西川寧、立原道造等の俊才の名を連ねます。
 一方で、日々の授業では、受験本位ではなく、全教科のバランスをとっています。八田校長は、選
択科目として数学・英語を増加せず、法制経済、唱歌、体育の時間を確保します。特に「健全なる精
神は健全なる身体に宿る」という見地から体育を重視しました。組対抗マラソン(隊列を組み落伍者
を出さないよう4〜6キロ走る)を竸わせながら、校長自らも参加するなど一体感あふれる取組みと
言えます。また、授業の仕方も工夫に富みます。国漢や英語の授業のため辞書を教室に備え、自習時
間を確保後に授業を実施しています(自学自習の習慣)。
 他方で、落第処分が多いのも現実でした。ただし、劣等感を抱く落第生は皆無との説もあります。
 このように、「自律自修」の精神こそ受け継がれるべき校風と目されますが、岡田孝一氏が指摘す
るように、八田校長自身は同趣旨の考え方を示すものの、「自律白修」の用語は使用していません。
 最後に、「自律自修」という表現が定着してきた経緯については、次のように考えてみました。ひ
とつには、この言葉は八田校長による学校運営や授業の空気を表したものであり、その意味では自然
発生的だと思います。用語は卒業生・正木ひろしや本校石澤胖教諭による命名と推察します。
 もう一つは、八田校長の薫陶を受け、実社会の中で「自律白膩」を実践した教え子(例:河合栄治
郎)の評判が学内に還流したものとも考えられますが、いかがでしょうか。
−3−
受け継がれる校風「自律自修」の精神
口自律=自分をコントロールすること、自分の立てた規範に従って行動すること

口自修=自ら身を修めること(以上、『広辞苑』他)→ 人格の完成を目指すこと
「先生の教育方針は、あくまでも生徒の自律自修を重んじ、規律は厳格であっ
たが‥悠々と勉強させ」
(石澤胖「緬想七十年」東京都立両国高等学校『七十年史』昭和46年)
〈八田校長による教育方針の実際〉 八田校長自身は自律自修の言葉を使つて
いない
 〈団体競争〉
* 組対抗マラソ`
  隊列を組み落
  伍者を出さない
  4〜6km


 〈投稿生徒〉
* 久保田万太郎
* 河合栄治郎
* 芥川龍之介
* 西川 寧
* 立原道造=短
  歌等のほか表
  紙絵も掲載
* その他生徒
  
○ 受験本位ではなく、全教科のバランスを
  とる。

○ 選択科目 = 数学・英語は増加しない。法制
  経済、唱歌、体育の時間を確保。
○ 体育を重視 =「健全なる精神は健全なる
  身体に宿る」 を実践。
○ 自学自習うの習慣を指導 = 国漢、英語。
 当時貴重な辞書を教室に備え付け、自習
  時間を確保後に 授業を実施。
○ 一方で毎月試験を実施。 落第処分も多い。
○ 厳しい国際情勢(欧米諸国による植民地
  支配、第1次世界大戦開戦)を直視
  ⇒「他年国家有用の材タランコトヲ期ス
   ベシ茲ニ三綱領を提示シテ諸子ガ進
   修ノ標的トシ・・
  ― 正大 ― 剛健 ― 進取 」
[主要参考文献]
・東京都立両国高等学校『 両国高校百年誌 』 2002(平成14)年3月
・淡交会資料室委員会 『 資料集成 初代校長八田三喜と府文三中 』 1994(平成6)年
・岡田孝一「自律自修」『 資料室レポート 』 第16号 2002(1990)年7月
○ 国運の盛衰優劣 = 「主として国民の能力
 にあり」
○ 中学教育の目的 = 「上級学校入学準備」
 ではなく、『 時代の指導に当り得る人物
 の教育 』。 中等国民の育成
○ 三中運営の特色 = 自治、自主的活動
 @ 「学友会」 活動
  * 職員・生徒の全体で組織
  * 部活動、学友会雑誌の編集
 A 生徒による「自治制」の実施(1915年、
   八田校長)
  * 生徒が生徒を治める = 校風の振興、
  風紀衛生の継持、運動の奨励
 B 校長諮問 (経済難局の打開策等) に対
  し生徒答申(1930年、廣瀬校長)
  * 3日間、学級ごとに生徒が議論、生徒
    大会で審議・決定
−4−
資料室委員会委員長を辞するに当たって 前委員長 戸張誠之助(54回)  2期4年 委員長を務めて参りましたが、高齢のため 少しでも若返りを図り 委員会活動を活性化
するため 後進に道を譲ることに致しました。
 予てより 後任者に人を求めておりましたが、淡交会事務局で 資料室委員会を補佐して頂き、日頃
からその仕事ぷりを 具に拝見し 信頼を置いていた 室賀さん(60回)にお願いしたところ 快諾を得
まして 無事 引継ぐことが出来ました。
 思い返せば、資料室委員会との関わりは、前委員長の田村さん(48回)の お手伝いから始まって、
いつの間にか 足掛け10年の長きに亙ります。 最初は、同窓生の勉強会 「歴読会」 の 座長を務
めていた 田村さんから 否応なく引きずり込まれたのが そもそもの始まりでした。 その後 非力な
私が 何とかその役目を果してこられたのも、この間 関係者の皆様の ご協力が有ったれぱこそと
改めて 御礼申し上げますと共に、新委員長にも 変わらぬ ご支援をお願い申し上げます。
尚、引き続き願問として残り 委員会活動に 微力を注いでまいります。
 言うまでもなく 委員会活動の中心は、両国祭の展示参加ですが、年が明けると 直ちにテーマの選
定から始まって、コンセプトの設定、展示内容と資料の収集、展示方法の検討など 毎月一度のペース
で会合を積み重ね、9月の 両国祭まで 委員は夫々の役割を担ってボランティア活動に追われます。
 私が関与した展示テーマを挙げますと、「校歌・卒業式の歌、名歌早春譜を創った吉丸一昌先生」、
「立原道造展一没後70年を記念して」、「河合栄治郎展」、「同窓生 あんな人こんな人110人」、
「芥川龍之介生誕120年 天才作家の幼少年期」、「文化勲章に輝く先輩5人展」、「世界で活躍先輩
3人展 ( 山本喜譽司、齊藤鎮男、関野吉晴 ) 」、「堀辰雄 生を探求した作家」、「自律自修の校風と
は−115年の歩み」 ( 初代校長八田三喜先生の建学の精神 ) です。
 今年のテーマは 「今なぜ河合栄治郎か」 を予定しています。 彼を取り上げるのは 二度目です
が、現在の混沌として 見通しの効かない 世界の行く末に対し 我々は 如何に対処すべきかという
課題を考えるヒントを、彼の言動や生き方に求める という趣旨から 敢えてこのテーマを選びました。
学術的に過ぎると 来観者に理解されないことも考慮し 成るべく ビジュアル化すること、また 来観
者の大多数が 中学受験生と その保護者であることも考慮して、彼の具体的な生活態度を著わし
ている 「学生に与う」 の中から 「試験必勝法」 なども 展示することにしています。 内容は見て
の お楽しみとしておきましょう。
 これらの展示を準備する中で、それまで 余り知らなかった 先輩たちの偉業を 改めて知り得たこ
とは 苦労を忘れさせてくれる 幸せな経験でした。 その中で 最も思い出に深く残っていることは、
芥川龍之介が 同級の親友山本喜譽司に宛てた 真筆の書簡を掘り出し、展示を実現したことです。
 この発掘の経緯には、大変面白いエピソードがあるのですが、長くなりますので 次の機会に ご
紹介することにしたい と思います。
 最後にお願いがあります。 私たちは ボランティア精神で展示に 心血を注いでいますが、会場に
足を 運んで頂けるのは 99% 中学受験生と保護者です。卒業生のご来場を 切にお願いする 次
第です。
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資料室委員長になって
室賀五郎(60回)  淡交会事務局員兼資料室委員として、資料室レポートの編集、両国祭展示の看板書き、展示資料を
キンコーズ(コピー業者)に持ち込んでの拡大コピーの依頼、展示用の写真収集、写真を拡大コピー
して大きさをそろえ 台紙に張り付けるなどの 追回しを 3年続けました。
 今年は、事務局の仕事と同時に 追回しから 解放されるものと思っておりましたところ、事務局は
留任となり、さらに 資料室委員会の方も 戸張委員長の後任に 適当な人が見つからないためもあって、
資料室委員長のお鉢が回ってきてしまいました。 非才の上に意欲も乏しい人間が お引き受けすべき
ではないのですが、直ちに 適任の方も見つからず、適任者が見つかるまでの 短期間のつなぎとして
お引き受けすることにいたしました。 引き続き 伊東願問、戸張顧問の ご指導を受けることができる
のは 幸いです。
 貴重な資料の管理と 淡交会員の皆様をはじめとして、必要とされる方々への 情報提供を 継続して
いきたいと思っていますので。 よろしく お願い申し上げます。
資料室委員になって 柴岡美登里(68回)  昨年11月に同窓会淡交会の常任理事を拝命し、資料室委員会の一員にも加えて頂きました。
 私が両国高校に入学したのは学校群制度が始まって2年目の時でした。 男子校だった両国高校が
男女共学になったものの、女子は全体の1/4位でした。 廊下の窓が開いたまま錆び付き閉まらなく
なっていて、雪の日に廊下に降り積もっていたり、4階の男子クラスの床が壊れて 穴があいていたり
して 驚いたことを思い出します。 プールはまん中の水深が2メートル近くあって、そこでは立ち止
まれないと言われ 必死で泳いだものです。 勉強も難しく 毎日予習復習に追われていました。
そんなたくさんの思い出を作った 母校の同窓会の理事に選んで頂き 嬉しく思っています。
 資料室の活動については まだ詳しく存じ上げていませんが、両国祭の時に河合栄治郎に関しての
展示を行います。 9月まで 先輩方のご指導の下、お手伝いする所存です。 よろしくお願いいたし
ます。
お知らせ
 『 淡交会報 』 の ホームページ(HP) 掲載について
 昨年もお知らせしましたが、WEB員会の ご尽力により、「淡交会報亅 第1号 〜 40号までが
HPに 掲載されています。 HPではこのほか 『 学友会雑誌目次 』(改訂版) や 最近の『 資料
室レポート』 を ご覧いただけます。 是非 ご活用ください。
<資料室委員会メンバー> (顧 問) 田村 光(48回) 伊東總吉(48回) 戸張誠之助(54回)
(委員長) 室賀五郎(60回・兼事務局)
(委 員) 宮島安世(60回) 原口 孝(62回) 柴岡美登里(68回)
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