作成日:2017/04/23 by AM   

 メキシコシティから5時間ほどの見るべきものもあまりないバス旅の果てに、グアナファトは突然に現れた。
バスターミナルからのタクシーは、突然に薄暗い岩壁むき出しの怪しげなトンネルに入った。5分程でトンネルを抜けても それまでのメキシコの明るさは戻らず、怪しい所に連れ込まれたのではないかと少し脅えたが、そこはもう州都グアナファトの中心部、 まさに異次元の世界であった。
 泊まったホテルは街の憩いの広場ラウニオンの傍ら、週末の事とて、夜2時を過ぎても楽の音が続いた。
こうして始まったグアナファト暮らしは、日本とのギャップに驚きの連続であった。
16世紀初頭にスペインの植民地となったメキシコの中にあって、16世紀半ばに銀鉱山が発見され、 それまで『カエルの丘』と言う意味の原住民の言葉「グアナファト」と呼ばれていた町はスペイン人の住む処となった。
銀鉱山から得た富で豪華な教会や建築物が多数作られ、それらが現在も街を観光都市として栄えさせている。
 昔ながらの石畳の道路、中世ヨーロッパの面影を残すコロニアル調の街は、一方通行の二層構造の細く曲がりくねった、 信号もネオンサインもない迷路のような街である。サブテラニアと呼ばれる地下道トンネルは、昔の排水溝を急激に増えた交通量を 捌くために道路に変更したものであり、それが今日では観光に一役買っている。
 到着初日に聴いた真夜中の楽の音は、グアナファト大学の学生からなる楽団であり、街の中心のサンディエゴ教会の前から、 中世スペインの学生服を纏い、夜の街を演奏しながら練り歩く。構成員に選ばれることは大変名誉なことだそうで、 60歳を超える老紳士も祭りには昔の衣装を身にまとい演奏に加わっていた。

☆ ☆「エストディアンティーナ」の楽団に選ばれた親子三代☆ ☆

≪ ☆☆ エストディアンティーナ ☆☆ ≫
☆ ☆ 中央白亜の建物がグアナファト大学 ☆ ☆

≪☆☆グアナファト大学☆☆≫

 この町で嬉しかったのは、メキシコ屈指の華麗な劇場があり、週末には、クラッシック、オペラ、民族舞踊、演劇などが、 日本では考えられないほど安価で楽しめたこと。加えて、国際セルバンテスの祭りの間には、同じ出し物が、アロンディガ・ グラナディタスと言う1810年にメキシコ独立の拠点となった現在の州立博物館の表のアロンディガ大階段広場でほとんどの場合無料で楽しめたこと。 美術館、博物館への入場料なども非常に安かった(学生は無料)。
日本とは文化に対する政府の取り組みが違うと何度も羨ましく感じた。
映画もそうであった。年末日本へ帰る直前に見た映画が、日本でロードショウとして上映され、女性の日の割引があっても10倍程の入場料の違いがあった。
 街の中心をなしているのは、グアナファト州立大学であり、現在のグアナファトは、観光と学生の街である。斜面に沿うように建てられた白亜の学舎は大変壮麗である。 左端の大階段は30人以上の大人が横一列に並べるほどで4階分ほどの高さがあり、学生たちの憩いの場にもなっている。
夜ライトアップされると教会かと見間違うほど美しい。ここでも折に触れイベントが行われた。
現在は学部によって市内と地方に分かれており、私が学んだ大学院は、都心から2キロほど離れていた。
日本の修士は修士とは認めないと言われ悔しい思いをしたが、「ここには日本語の論文を読める教員はいないから」と後に聞き、納得した。

 11月2日の「死者の日」の祭りは日本のお盆のような考えによるものである。
しかし祭り方は日本のお盆とはだいぶ趣を異にする。祭壇を作り、故人の名前を書いたされこうべを飾り、 傍らに故人の写真を飾って故人が迷わず祭りに加われるようにし、ご馳走を沢山作り、 私がお世話になったメキシコ人の家庭ではマリアッチを雇いさえした。
招かれていない通りがかりの人も加わったりして、夜を徹して楽しんでいた。街ではそこかしこで「おもてなし」が行われていた。
メキシコではされこうべは愛しい存在のようだ。その為か、グアナファトには世界で一番小さいミイラを含め100体以上のミイラを展示しているミイラ博物館がある。 日本からの旅行者は、ミイラ博物館に興味を示す人がかなりいたが、一度は見ておくのも良いと思ったが、一度行けば十分である。

☆ ☆「死者の日」の飾りつけ(11月2日日本のお盆の行事)☆ ☆

≪ ☆「死者の日」の飾りつけ☆ ≫

 貧しい人たちは自分たちで、日干し煉瓦を積み上げて家を作っていた。
一族総出で力を合わせ、週末ごとに一段二段と積み上げていた。なかなか屋根を掛けられず、屋根のない囲いの中で、炊飯しているところもあった。 日干し煉瓦のため、一度激しい雨が一ヵ月ほど降り続いたときに街の中で4か所ほど崩れたことがあった。

******* 以上 グアナファト  *******

 メキシコシティにある国立人類学博物館は日曜日には入場無料のため、原住民の老人が幼い子供を沢山連れてきていたが、 未だに読み書きのできない人も多く、子供たちに質問されて、「何と書いてあるかわからない」と言いながら、とうとうと説明をしていたのには何度も驚かされた。 書かれている事よりもはるかに内容のある説明も多かった。
また子供たちが非常に熱心にノートをとっていたのにも胸を打たれた。
 カトリック教徒が90%以上のメキシコで、人々は、近年教会に行くことは減っているようであるが、教会の前を通る時には、 歩いている時でも、車に乗っている時でも殆どの人が十字を切っていた。

☆ ☆「国旗の降下式」メキシコシティの中心ソロカ広場☆ ☆

≪ ☆☆ 国旗の降下式 ☆☆ ≫
☆☆国立人類学博物館内のチョルーラ神殿(向かって右が筆者)☆☆

≪ ☆国立人類学博物館(右が筆者)☆ ≫
☆ ☆ 原住民コンチェロスの民族踊り ☆ ☆

≪ ☆原住民の民族踊り☆ ≫
57回総合ページは、こちら