最終更新日: 2014/12/12   
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 最近の明るいニュースの一つは 月5日に出雲大社において権宮司の千家国麿さん と高円宮家の典子さまの結婚が行われたことです。お二人にはどうか末永くお幸せであって欲しいと願っています。
 実は私は縁があって、 年前から 島根医科大学(現島根大学医学部)の「漢方症例 検討会」に毎年7月末に招かれており、この役得で  年に一度行われる出雲大社の平成大遷宮(2008年4月〜2013年5月)の一部始終を拝見するという幸運に恵まれたのです。 本殿にはこれをスッポリと被う建物が建てられ、内部には鉄パイプの足場が組まれていましたので、私は 社殿を 上から横からと直近で見ることが出来たのです。 羽田を出発して、降り立つ空港はその名もズバリ「出雲縁結び空港」。
 前置きが長くなってしまいましたが、淡交会は 両国高校に学んだという縁によって結ばれた集団と言って良いでしょう。 この縁という言葉を 諸橋轍次著


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『大漢和辞典』で調べますと、その本来の意味は「ふち」とか「ふちどり」で あって、「えにし」の 意味を持つようになっ たのは 仏教の伝来以後のことのようです。
 そこで起こる疑問は因と縁の関係です。
調査した限り、納得出来る説明はこれまで にありません。最近私はこの関係を明確に できました。つまり因とは、ある結果がも たらされた場合の明確なそれを生じた要素 (原因)です。一方、縁はその明確な因と いう芯を花びらのように縁取りする不確定 要素で、因が因としての働きをするのを助 けるものなのです。私が島根大学に招かれ たのは私が漢方の指導者としての力を持っ ていたことが因ですが、仲立ちしてくれた 友人が居なかったら実現することはありま せんでした。この友人との繋がりが縁と言 うものです。因と縁の関係をこのように理 解しますと、縁という文字の持つ「ふち」 とか「ふちどり」という原義と全く矛盾し ません。
 縁を不確定要素と定義しましたが、皆さ










んご自身の両国高校に学んだ経緯を考えて 見て下さい。ご両親が結婚したのであなた が誕生しました。ご両親の出会いも不確定 要素の中での結果です。あなたは順調に成 長して東京第六学区の中学校を卒業しまし ました。これとて様々な不確定要素の中で の結果です。ある方は住民票を移して積極 的に縁を求めました。そして両国高校に入 学し卒業した。この一連の出来事は全て不 確定要素の連なりではありませんか。特に 学校群制度の中で本校に入学した方々はご 自分の意志とは無関係に両国高校に入学し た、これは人知を超えた縁があっての貴重 な結果なのです。
 古希を迎えた私ですが、様々なご縁を有 難いと思えるか思えないかで人生の内容が 相当に違ってくると断言できます。この縁 を大切に育んで行くとそれが次の良縁を生 む。私は淡交会を単なる過去の縁での静止 的な集団に止まらず、それを次の良縁に結 びつけるダイナミックな場としたいと願っ てその運営に当たっています。






 











【 淡交会 会報  号 会長挨拶より 】
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